お知らせ
2024年12月26日
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【献体事務室便り】あれから5年・・・『乾いた大地を緑に変えた医師』に寄せて

週明けの世界のニュースには掻き立てるようにさまざまなタラップが流れています。
シリアのアサド政権の崩壊、韓国尹大統領の非常戒厳宣布による国内の混乱、アフガニスタンではタリバン暫定政権が例外的に許可していた看護師や助産師を育成するための女子教育までも全面禁止(イスラム法では男性医師が女性を診察できないためそれによって女性の受診機会に深刻な影響が出ること)などが報じられています。またアメリカではトランプ次期大統領の再選、国内でも裏金問題に始まり、議会の不信任決議により失職した知事が出直し選挙で返り咲くなど、さまざまな政局での話題が今年も尽きませんでした。その上、世界各地での長引く戦争や情勢不安、地球温暖化による異常気象や災害、パンデミック後の広がる格差と分断、円安に物価高とココロ休まることのない一年でもありました。

そのような中に『事業は全て引き継ぐことが出来た。事件後、アフガン人スタッフの手で進められ、長さは2km・2026年9月完成予定』と飛び込んできたニュースに安堵を覚えられた方も多かったと思います。中央アジア、アフガニスタンの人々に寄り添い、人道支援に生涯を献げられた医師 中村哲先生が2019年の12月4日、凶弾に倒れた悲報から5年。この地で医療支援を行う傍ら、独学で土木技術を学び、用水路の整備などに取り組み、“乾いた大地を緑に変えた”中村医師が遺した“命の水路”が現地スタッフに引き継がれ、水路建設がいまもなお行われているという嬉しいニュースです。
これまで中村医師の手によって、灌漑が行われた土地はサッカーコート18,000個分、16,000haにも及び、砂漠に緑が甦り、65万人の生命と生活を支えています。そして今、中村医師の手掛けてきた水路工事の先頭に立つのが、かつて中村医師の活動に参加していた現地技師です。
『我々の技術は中村先生から学んだ。中村先生はどんなことをやるにも“質”を大切にした』という彼の語り口に思わず目が潤みました。
このアフガンの用水路護岸工事には、日本で伝統的に用いられてきた工法“蛇籠”“山田堰”が施され、中村医師がまとめた360ページにおよぶガイドラインには、中村医師の強い意思と灌漑技術が詳細に記され、現地の人たちが工事を行い、管理するノウハウが事細かく記されていると言います。
『人々に魚を与えることではなく、魚を獲る技術を学ばせること』をアフガンに遺した中村医師の“命の水路”と“ガイドライン”は今もなお、脈々と流れ、その思いが引き継がれていることを知った冬の落日が温かくなりました。

さて、今秋、私は都内で開催された献体業務に関わる担当者研修会で『神奈川県献体協議会』について報告発表する機会を頂きました。会員のみなさまにもその内容についてご報告をさせて戴きます。(以下、発表内容です)

【神奈川県献体協議会は県内の六医科歯科大学の解剖学講座で構成され、その活動は半世紀以上に渡っている。
この会の始まりは1961年に始まった国民皆保険制度(原則としてすべての国民が公的医療保険に加入する制度)により、医療需要の急速な増加が見込まれたため、この対策として医学部の入学定員数を増やすとともに医学部の新設が図られた。加えて高度経済成長期の波に乗り、1973年には“1県1医大構想”が田中角栄内閣で打ち出される。このような時代背景により、1970年代には国立大学17校と私立大学16校の併せて34校の新設医大が全国に開学した。特に神奈川県においては3つの私立大学で医学部がほぼ同時に開学したため、解剖学実習に寄与するご遺体不足の解消を、県挙げての解剖体収集事業として取り組み“神奈川県遺体収集協議会”を発足させた。当時は県内どこの大学でも365日24時間体制を組み、連絡が入れば、いつでもどこへでも六医科歯科大学が輪番制で解剖実習体の確保に駆け付けていく。そこでの解剖体は、死体解剖保存法第12条(引取者のない方で、その所在地の市町村長は、医学に関する大学の長から医学の教育又は研究のため交付の要求があった時には、死亡確認後、これを交付することができる)に該当するご遺体である。
例えば、箱根の山中で見つかったご遺体に引き取り手がいなければ、東海大学医学部長が“死体交付申請”をすると、箱根町町長から死体交付を受け、ご遺体を実習体として受け取ることが出来た。そして昭和58年の献体法制定以降は“神奈川県献体協議会”と会の名称を改め、この施策は平成2年まで続く。その後、神奈川県では急速に献体人口が増えてきたので、この会の役割はひとまず終わりとなり、閉会すべくとの話も持ち上がるが、今後の活動の身近な拠り所として活用していこうということで今日まで引き続いている。本会の現在の主な活動は各校間での“クロスチェック”である。昨今、起きている献体業務に絡む事故や事件は“解剖学実習室が外から見えない”と言うことに起因しているため、外からの目を意識しつつ、他校からの視点でも、ダブルチェックを行うことを昨年度から始めた。このように他校間でのクロスチェックを行うことで、より安全性や危険防止策を確保していく。本県での活動が他地域でも行われ、担当者同士の“横の繋がり”が拡がるよう提案したい】と結びました。

また昨夜はノルウェーの首都オスロで行われたノーベール平和賞の授与式では日本原水爆被害者団体協会にメダルと賞状が授与されました。協会代表委員の被爆体験のスピーチには会場にいた多くの方々が感動と共感を覚え、世界の核廃絶への決意を誓いました。フリードネスノーベル委員長の『核兵器のない世界への道のりはまだ長いと言わなければならない。例え、どれほど長く困難な道のりであっても決して諦めてはならない』という言葉に私も大きく頷いた瞬間です。

乾いた大地を緑に変えた中村医師、戦後80年経た今もなお、核兵器の恐怖と廃絶を訴え続ける日本原水爆被害者団体協会、そして医学教育を支えるために全県挙げてご協力とご支援頂いた行政機関の方々、また神奈川県献体協議会の最前線で解剖体収集を繰り広げ、この道を拓いてくださった諸先輩方、そして篤志家のみなさまに通ずる“決して諦めないこと”を私たちも胸に深く刻みに“紡ぎ、繋ぎ、積み重ねて”献体運動を進めて参りたいと思います。

今夏は英国のスコットランドの自然を肌で感じてきました。ハイランド地方に聳える英国最高峰のベン・ネヴィス山(標高1,334m)は標高差こそ、高くはありませんが、ほぼ0mから登リ行く道の先が晴れ渡るのは年間60日にも満たないと言われていますが、なんと頂上では快晴を仰ぐことが出来、ガッツポーズを取りました。また世界の絶景とも言われているスカイ島の孤高の巨岩、オールド・マン・オブ・ストールは尖塔部分が少し傾いていますが、火山後に地滑りが起きて、できた自然の創造物と知り、身が震えました。

2025年の乙巳(きのとみ)は“努力を重ね、物事を安定させていく”という意味合いがあるそうです。
私たちも決して諦めずに努力を重ねて参ります。どうぞみなさまにとっても佳き年でありますように…

2024年 三冬月(みふゆづき)
東海大学医学部献体事務室

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電話 0463-93-1121 0463-93-1121
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