お知らせ
2019年6月30日
活動報告
【2019年 解剖慰霊祭】ご遺族代表のご挨拶

本日はこのように盛大で心のこもった慰霊祭を設けて戴きありがとうございます。
関係者の皆様に対し、故人及び遺族を代表して心よりお礼申し上げます。

今回、私がこの遺族代表としての挨拶の大役を引き受けさせていただいたのには、二つの理由があります。

一つは、私事ですが、ここの東海大学病院の看護師さんを中心に活動されている「望星合唱団」と三十年来の 付き合いがあり、現在も一緒に医療施設や老人施設の慰問活動をさせていただいているからです。
それともう一つは、何より献体させていただいた叔母の気持ちを少しでも皆様にお伝えできれば思ったからです。

私の叔母は、満州鉄道に勤めていた父親の関係で、大正十四年に満州(中国の大連)で生まれ、音楽学校へ入学するまでずっと中国で育ちました。
子どもの頃からピアノが好きで、よく兄弟でピアノを取り合っていたそうです。
家でピアノを弾きたくて、小学校の修学旅行も仮病を使い、家でピアノを一日中弾いていたようです。
音楽学校を卒業してからは、日本に引き上げてきた家族と茅ヶ崎に住み、若い頃は「赤とんぼ」や「この道」などの作曲家として有名な山田耕筰の歌を世に広めたテナー歌手の伴奏ピアニストとして全国を飛びまわっていました。

結婚後はコーラスのピアノ伴奏や、近所の子供達にピアノを教えていました。
ピアノの教師は叔母が老人ホームに入る八十五歳まで続けていました。

生徒さんの中には、おばあちゃん、お父さん、娘さんと三世代に渡り、教えたご家族もあります。
また、若大将こと加山雄三さんも、小さい頃、叔母にピアノをずっと習っていました。
このように、ピアノの生徒さんからも愛され、音楽、ピアノとともに人生を歩んできた叔母ですが、        その叔母がなぜ献体をさせて戴くことになったのか。

今からちょうど十五年前に献体登録をさせていただいた時、叔母の妹である私の母は「一体、何を考えているんだか。私はイヤね。」の一言。
私は、叔母には子供がいないので、葬儀でまわりに面倒をかけたくないのかなぁと思って、特段、その時は直接理由を聞くことをしませんでした。

そして叔母が亡くなり、今になってようやくその気持ちが、少しだけわかった気がします。

叔母は晩年は老人ホームに入り、穏やかに過ごしていました。
ピアノを弾けなくなっても、楽譜を見ているだけで楽しいと。
本の代わりによく楽譜を見ていました。

会いに行くと、大連に住んでいた頃の話しや音楽の話を楽しそうに語ってくれたことが、まだ昨日のことのように耳に残っています。
口癖は「上げ膳据え膳でここは天国よ。」そして、スタッフの人と嬉しそうにハイタッチまでしていました。

老人ホームで叔母から愚痴を聞いたことは一度もなく、一番たくさん聞いた言葉は「ありがとう」という感謝の言葉でした。

今回、叔母の遺言で、全財産をユニセフと国境なき医師団に寄付させて戴きました。
そして、自分自身は東海大学に献体させていただいています。
叔母はきっと世間に恩返しがしたかったのだと思います。

人生の最後まで楽しく過ごさせてくれた、
音楽を思う存分やらせてくれた
そんな世の中の人達に、心から感謝したかったのだと思います。

今日はこの叔母の感謝の気持ちを少しでも皆様にお伝えしたくて、僭越ではありますが、このような場でお話をさせていただきました。
私はまだまだ叔母の境地には遠く及びませんが、叔母を見習い、少しずつではありますが、ボランティア活動を始めました。

医学生の皆さま、叔母の身体を使って、納得いくまで勉強してください。
そして、得た知識と経験を、病で苦しむ人々のために使ってください。
そうやって、叔母の感謝の気持ちが、繋がっていけば、叔母も本望だと思います。
今日はありがとうございました。

遺族代表  吉田秀樹

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こちらからお願いいたします
電話 0463-93-1121 0463-93-1121
 (内2500)
平日9:00-17:00
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