お知らせ
2019年12月17日
お知らせ
【献体事務室便り】二十七キロ 命の路(いのちのみち)に学ぶ

令和元年もまた新しい年が重ねられようとしています。
今年も日本各地にさまざまなことが起こりました。自然災害が引き起こした広域範囲におよぶ甚大な被害。その結末が皮肉にも経済優先の社会における盲点であったこと。
それに加えて、どこか歪み始めている親子関係も浮き彫りになりました。守られるべき者が守られない社会。

耳を塞ぎたい思いと、社会の一員としてこの事実を受け止める事の苦しさ。これからの日本の社会における課題の多さを実感した一年でもありました。そんな年の瀬ではありますが、日々の献体業務の一コマ一コマを重ねながら、一年を振り返り、これからの献体運動に活かしたいと思います。

新潟県長岡市に転居された会員様が九十三歳で天寿を全うされ、ご献体されたのは霜月の初めでした。    菩提寺を守るために、住み慣れた神奈川の地を離れ、郷里の長岡市に移られたのは十年程前。転居の際に、近くの大学への転籍をご案内したのですが、本学を強く希望されました。転居された後も繁く、現況報告を戴き、 ご献体される一ヶ月前にはご本人様から献体の再度の確認のお便りが届きました。

「卒寿を超えてしまったが、果たして自分の身体は役に立つのだろうか?」
「勿論です。それまでの日々を存分楽しんでください」そんなやりとりをお手紙で交わしました。

そして受けたご献体の連絡に「まさか、こんなに早く・・・」最後にしたためられたお手紙での思いが交差し、ご自身の行く末に責任と自覚を持たれた姿に頭が下がりました。
ご一族の最後の方となられたので、献体の事務手続きを入居先の介護施設と後見人(補佐)をしてくださっていた長岡市社会福祉協議会にご協力を仰ぎ、師走月初めに、長岡市に出向きました。日本海側特有の冬空が纏う中越の役所の一室に私を含めた関係者六名が集まり、この方のご献体に関する協議を行いました。その部屋にいる誰もがこの篤志家の強い勇気と崇高な社会貢献を後押ししたいと思い、法律を片手に話し合いました。

そしてその時にこれまでの本学への思い入れも介護施設の方からのお話で紐が解かれました。
かつて大学の近くにお住まいがあったため、居酒屋で一緒になった学生が泥酔してしまい、その学生を自分の家まで背負い、一晩中、奥様と介抱してくださったこと。時には悩みを抱いている学生を家に呼び、食事を差し出し、話を聞いてくださるなど学生を我が子のように可愛がってくださったようです。
それはご本人とっても生涯の楽しい思い出であり、そのすべてに東海大学に対する思いがあったようです。心なしか、このお話をしてくださった介護士の方のお顔も嬉嬉とされていたことがとても印象的でした。

また、時を前後して、晩秋に訪れた岩手県大槌町。震災以後、皆様も何度も耳にされた地名だと思います。
私自身はあまりの被害の大きさに、心を痛めつつも目を反らしていました。しかし、来春、ここが映画の舞台となることを知り、意を決してこの地を訪れてみました。
かつては水産業が盛んで、町の大半の人々が暮らす海沿いの地域に面した大槌湾には『ひょっこりひょうたん島』のモデルと言われる蓬莱島が浮ぶ風光明媚な町。

しかし、震災によって発生した津波は、そんな町の大半をほぼ壊滅させ、町庁舎にいた町長をはじめ、多くの職員も行方不明となり、行政機能は麻痺。その後の火災によりさらに被害は広がり、数日間、町は外部から孤立した状態になってしまいました。
そんな辛く悲しい出来事のあった町の外れの三陸海岸を見下ろす高台に『風の電話』と呼ばれる白い瀟洒な電話ボックスがあります。

なかには電話線の繋がれていないダイヤル式の黒電話が一台置かれ、電話機の横には『風の電話は心で話をします。静かに目を閉じ、耳を澄ませてください。風の音が、浪の音が、或いは小鳥のさえずりが聞こえたならあなたの思いを伝えてください』と記されています。
震災以後、全国各地から大切な人を失ったり、悲しみを抱えたりした人たちが訪れ、線の繋がっていないこの黒電話で思いを伝え、自分の心の中を少しずつ整理していく方たちが後を絶たないそうです。

『風の電話』岩手県大槌町ベルガーディア鯨山

『風の電話はどこにも繋がっていないからこそ想いは繋がるのかも知れない。人は人生に置いて自分の物語を創り出し、それを生きていると考える。そして最愛の人を失った時、残された人の悲しみを癒やすのは人の持つ感性と想像力である』と、幸運にもこの日、電話を設置された佐々木格氏からこのお話を直接伺うことが出来ました。
電話ボックスは震災の前年、佐々木氏が早逝した親族を癒やすために設置されたもので、それからずっと今日まで佐々木ご夫妻の手によって、広大なガーデンが整備され、季節ごとに多種多様な草花で溢れ、そこを吹き渡る風の音と相まって、訪れる人たちの癒やしの場を提供してくださっています。

ここまで足を伸ばすことは出来なくても、会員の皆様やご家族の皆様が深い喪失感や悲しみに苛まれた時には、ぜひお気軽に献体事務室にお声掛けください。そして会えない方との思い出を語って戴きたいと思います。篤志家の方々やご家族様と想いを伝え合える献体運動でありたいと願っています。

こうして献体手帳の発送を準備している間にも悲しいニュースが飛び込んできました。                長期に渡る侵略や内戦が繰り返され、その上、干ばつによって大変なダメージを受けているアフガニスタンの東部に用水路を建設し、二十七キロに及ぶ命の路(いのちのみち)を造り、砂漠を緑地に回復させた日本人医師の中村哲氏が車で移動中に銃撃を受け、お亡くなりになったという訃報。                                                           

中村医師の活動の原点は『農業の復興なくしてアフガンの再生なし』と言う強い信念のもと、用水路事業に取り組まれ、そのヒントが日本の田園風景であり、江戸時代に福岡県に築かれた筑後川流域の山田堰がモデルであったと聞いています。
アフガニスタンの地での食料不足と栄養失調の実態を目の当たりにされ 『飢えと渇きは薬では治せない。百の診療所より、一本の用水路が必要。武器ではなく民生支援こそが平和への道』という中村医師の揺るぎない信念が農民六十五万人もの人びとの暮らしを支えています。『進歩と言う言葉に惑わされるな。自然に対し謙虚であり、何より誠実さが大切だ』という中村医師の警鐘を次世代に活かして行こうではありませんか。

末筆になりましたが、皆様のますますのご健勝をお祈りしますとともに、来年再び、オリンピックが開催される東京の空にどの国の旗も平和の風が吹き抜けますように願っております。

令和元年 冬至(乃東生なつかれくさしょうず)
東海大学医学部献体事務室
遠藤京子 記


今年度の解剖慰霊祭に読み上げられた『学生の感謝の言葉』および『ご遺族代表のご挨拶』も同封させて戴きました。

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電話 0463-93-1121 0463-93-1121
 (内2500)
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