お知らせ
2009年6月25日
活動報告
【2009年 解剖慰霊祭】感謝のことば 学生代表

献体は、人としてなしうる何よりも大切な生き方

東海大学 医学部 吉川健太郎

本日は医学生を代表して感謝の想いを述べさせて頂きますことに、心から感謝します。

東海大学では、医学部二年次から人体解剖学実習が始まります。私達医学を志す者にとって、この実習を皮切りに、生涯続く医学の勉強が始まります。

実習は、九月から一月末まで、ほぼ毎日のように、朝から晩まで続きます。
私たち学生は、1チーム4人の構成となり、皆で力を合わせ、一人のご遺体を最初から最後まで担当します。

私が勉強させて頂いた方は、八十代と思われる大柄なおばあさんでした。解剖するご遺体に関する個人的な情報は、実習最終日まで一切、学生に伝えられることはありません。

実習初日、ご遺体を覆う白いシーツを取り、穏やかな微笑みを浮かべ実習台に横たわるご遺体を初めて見ました。この時なぜか私の脳裏には、うまく説明出来ないのですが、献体されたおばあさんが何か、私に語りかけようとしている様な、複雑な想いがしたことを覚えています。

解剖はまず背中から始めます。次に腕と足を指の先まで、それから胸、おなか、最後に首、顔、そして脳といった順序で五ヶ月間かけて、じっくりと行います。

日一日と実習は進んでゆきました。本で学んだ知識を、実際に解剖によって確かめていくことで、解剖学の知識が、献体された おばあさん の深い想いと共に、私自身の体に刻み込まれてゆく様な、不思議な感覚を覚えるようになりました。

次第に私は、『この おばあさんは生前どの様な方だったのだろう? どの様な人生を歩まれたのだろう? そして、何を私に語りかけようとしているのだろう?』という想いがつのるようになってきました。

そんな頃、確か11月の肌寒い日だったと思います。亡くなられた献体希望者のご遺体を、ご家族から大学に迎える、「お迎えの儀式」がありました。
私にとっては初めての儀式、どの様な雰囲気かも全く分からないままで、軽い気持ちでの出席となりました。・・・

そんな私を驚かせたのは、棺に寄り添い、悲しみにくれるご遺族の姿、声をあげて泣いておられる姿でした。

この思いもよらぬ場面に、私は突然、暗闇に落とされたような、大きな衝撃を受けました。

そして、この数年間に起こった出来事が思い出されてきたのです。・・・

一昨年、長く辛かった浪人生活をやっと抜け出し、あこがれの医学部に入学でき、涙を流して喜んでくれた両親の姿、多くの祝福を胸に医学の勉強に進み始めた自身の姿、明るい喜びの姿・・・

しかしながら、そのあこがれの医学の本質は、この場面にあったのか、とのショックでした。

ご遺族にとっては、亡くされた大切な方を、そっと静かにお送りすることの方が、何よりの供養の筈なのに、その悲しみの真最中に、あえて献体という苦しみを背負わなければならないこと、このご遺族の悲しみ、苦しみこそが、真の医学を支えているのだという現実だったのです。

もしかして、私が目指す医学の世界とは、この故人とご遺族の深い想いを知ることなのかもしれない。・・・ 医学生として入学以来、浮かれていた私の医学へのあまりにも軽い想いが、根本から間違っていたと感じました。                                        

ご遺族が棺を囲み、涙ながらに故人との最後の別れをしなければならないその場面は、  11年前の私達家族に起こった幾多の出来事を思い出させました。

それはまだ、私が小学生での出来事でした。

ある日突然、私の母は三十万人に一人と言われる不治の肝臓病、「原発性胆汁性肝硬変」と診断されたのです。 余命、数年・・・! 家庭内は大混乱となりました。

私も二人の姉たちも、当時通っていた塾や習い事をやめざるを得なくなりました。家庭内の精神的、経済的負担を少しでも軽くする為でした。

当時幼かった私にも、家庭内で起きている混乱や葛藤、悲しみが、良く分かりました。

それまで仕事一筋だった父が突然、私達家族を家族旅行へと連れ出しました。それは、私達子供に、母の最後の思い出を作る為だった、ということは後になって分かりました。

悲しみと、どうしようもない落胆の日々が続きました。

そんな中、一枚の新聞記事により、助かる道が一つだけ有ることが分かったのです。海外での脳死者からの肝臓移植です。脳死移植とは、亡くなられた方からの臓器提供を意味します。残念ながら当時は言うまでもなく、現在に至るも、日本では脳死者からの移植に関する社会的な理解度が低く、脳死移植をれっきとした一つの医療とする風潮は海外に比べ、極端に低いのが現状です。

父はこの最後のチャンス、脳死肝臓移植にその全てを掛けて取り組みました。

運も味方して、良い先生方と出会うことも出来ました。

私達家族の最後のチャンス、それはオーストラリア・ブリスベンにあるPrincess Alexandra 病院でした。

日増しに病の悪化する母への付き添いは、当時高校へ入学したばかりの姉が、1年間、学校を休み、付き添うことになりました。 入学したばかりの、親しくなった高校の友人達と開いた最初の会が、自分の送別会とは!・・・ 当時の、姉の悲しい想いを思わずにはいられません。

父は会社と掛け持ちで、毎月、日本とオーストラリアを行き来する日々が始まりました。

この最後のチャンスに全てを掛け、オーストラリアへ渡った五ヶ月後、どんなに待っても臓器を提供して頂くドナーの方は現れません。母の病状は日々刻々と悪化してゆきます。

私達の様に、臓器移植を求めて日本から来ている患者さんがたくさん居ました。しかし、残念ながら、ドナーが現れる前に力尽きてしまう方もおられました。

父は突然、遠く離れたオーストラリアの母の元へ、二番目の姉と私を連れて行きました。もう先の長くない母に最後の別れをさせる為であることは、幼い私にも分かりました。

家族の最後の別れの場面を見て、父は決めたそうです。『このまま臓器提供者が現れず、異国の地で無念の死を迎える前に、日本での最後のチャンス、父から母への生体肝移植に踏み切ろうと。』・・・

血液型の違う父と母の移植の成功率が極端に低いことも承知していました。

しかしもはや、他に母を助ける手だては無かったのです。 急遽、日本の主治医、オーストラリアの主治医とも話し合いが行われ、日本での父から母への生体肝移植の準備が始まりました。・・・

その直後のことでした。信じられないことですが、オーストラリアで突然、母への臓器提供者が現れたのです。交通事故により脳死に陥った方でした。 母は間一髪のところで、脳死肝臓移植を受けることが出来たのです。 オーストラリアの、不運にも脳死になられた方、そしてそのご家族の善意が、私の母を死の淵から救ってくれたのです。

父はこの体験をもとに、日本の脳死移植の進展を願い本を出版しました。本は、「きいろのなみだ」と名付けられました。末期の肝臓病患者は黄疸の進行のために、肌や目だけでなく、汗や涙さえもきいろくなってしまうからです。

オーストラリアで母の肝臓移植を執刀頂いたDr.Lynchがこの本にメッセージを寄せてくれました。 Dr.Lynchはオーストラリア、Queensland大学医学部教授として、世界で初めて生体肝移植を成功させた医師です。ここにそのメッセージの一部を読み上げさせて頂きます。

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『吉川夫人へのこの匿名の贈り物は、彼女に確実な死が訪れる直前に贈られました。それが誰からのものであるか彼女は一生知ることはありません。しかし、ドナーの方のご家族がその深い悲しみにありながらも、あえて他人の幸せを考えることができたというその善意により、彼女は命を与えられたのです。これこそ私に、臓器移植をつづける勇気と希望を与えてくれる真の理由です。』

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母に肝臓を提供してくれたドナーの方はどんな方なのか、私たち家族は生涯知ることはできません。臓器移植とは、まさに「名も無き命の贈り物」なのです。ドナーの方のご家族は、愛する家族を失うという悲しみの真只中にありながら、あえて他人の幸せを願い、臓器を提供することを決断されました。 その善意により、母の命は救われたのです。

そしてその精神はまさに、解剖学実習で献体を頂いた故人、そしてそのご遺族の深い想いと寸分も違わないものであると確信致します。

私がお迎えの儀式でお会いしたご遺族も、深い悲しみの真只中にありながら、故人の遺志を尊重して、あえて苦渋の決断をされました。

このご遺族の悲しみ、苦しみを思わずにはいられません。……

私は、この度この様な場でお話をさせて頂く機会を戴き、悩みました。

それは、解剖学実習での現場体験を皆様に詳しくお話し、型通りの感謝の想いを述べさせて頂くだけで良いのだろうか? それで本当に献体頂いた故人への哀悼となるのだろうか? 故人がわが身を犠牲にしてまで、私達やご遺族へ伝えたかった想いとは何なのだろうか?

深く悩みました。……

そうではない! 私がこの場で皆様に伝えたかったことは、そんなことではないんです!

私が実習を通して体験した本当の想い……、それは、かけがえのない母の命と、助けてくれたドナーとそのご家族への深い感謝の想いを、思い出させてくれたことです。 

この度の解剖学実習を通し、心の中に眠っていた自身の思い出と共に、現実の姿が見えてきました。 それは、かけがえのない家族を失ったご遺族の深い悲しみ…、 その大切な家族を献体に送り出さねばならなかったご遺族の辛い決断でした。……

大笹悦子さん、あなたが、自らの体を医学生の解剖学実習の為に献体したその行為は、  死を目前にして病に苦しむ多くの人々に、臓器提供により生きるチャンスを与えるのと全く同じ尊い行為です。自らの死後も、誰かの為になろうとするあなたの行為は、人としてなしうる何よりも大切な生き方であることに、私自身初めて気が付きました。

そして大笹さんのご遺族は、あなたの深い想いを知り、立派にその決断をなさいました。

実習初日、初めてあなたにお会いした時、あなたが私に訴えたかったこと、そしてあなたがご遺族に伝えたかった深い想い、良く分かりました。この慰霊祭で、あなたの想いを必ずお伝えいたします。……

オーストラリアのドナーの方が、母の体の中で今も生き続けているように、ご献体頂いた故人の想い、そしてそのご遺族の深い悲しみも、私たち医学生の心に今も生き続けています。

私たち医学を志す者は、この故人やご遺族の深い想いを絶えず心に持ち続け、一人でも多くの患者さんを救うことにまい進しなければなりません。

最後に、医学生を代表して、ご献体頂いた故人、そしてご遺族の皆様に、限りない感謝と祈りを捧げます。

献体のお申し込み・お問合せは
こちらからお願いいたします
電話 0463-93-1121 0463-93-1121
 (内2500)
平日9:00-17:00
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