本日は医学生を代表して感謝の想いを述べさせて頂きますことに心から感謝致します。
この大役に私の言葉などでしっかりと思いが伝わるのか、自分には荷が重すぎるのではないかと悩みました。
とても緊張しておりますが、それ以上に今ここで、ご献体頂いた故人ならびにご遺族の皆様に感謝を捧げ、改めて皆様に解剖学実習の必要性とその重要性についてお伝えしたいと思い、私はここに立っております。
この夏、実家に帰省した折に、解剖学実習の意義を改めて実感する出来事がありました。
私のいとこや医療系以外の道に進んだ中学の頃の友人から「本当に人を解剖したの?」「本物の心臓に触ったの?」という、人体への興味よりも、恐怖心や気味が悪いといった印象が先立つという反応が返ってきたのです。
私たち医学生とは全く異なる感覚・・・
思いもよらなかったその驚きとも思える言葉の数々に、私の心は大きく動揺しました。
医学生となった私はある意味、感覚が麻痺してしまっている部分があるのでしょうか?
いやそうではないのです。
解剖学実習は私たち医学生にとって初めて実際に人体に触れる実習であり、御献体は私たちの初めての患者さまでもあります。
私たち医学生は解剖学実習の期間中、ご献体を目の前に『ご遺族の方々はどのような思いで亡くなられた方のことを待ちながら過ごされていたのだろう』と想像し、胸が締め付けられました。
それでも最初の緊張感は実習を重ね、学習を進めていくうちに、良い意味でも悪い意味でも解剖学実習に慣れてきて解剖学実習に対する特別な感情が薄くなってくる時期が確かにありました。
初心を忘れないことは言うまでもなくとても大切なことですが、解剖学実習は私たち医学生にとって、慣れていかなければ越えられないハードルでもあります。
例えば、医学知識の習得という面において
解剖学実習では自分の手で臓器に触れ、目で見ることで、教科書を読むよりはるかに印象に残ります。
ただ文字で理解していた知識が、目の前で実際に見ることができた時には、大きな達成感と感動をも得られます。
人体の構造は、生理機能や病態と巧みにリンクしていることを学びました。
また、人それぞれの性格や外見に個性があるように、体の中にも個性があること、つまり個人差があることを知ることもできました。
「教科書にこう書いてあるから…」という硬い考えは、時には非常に危険で、教科書とリアル、つまり生身の人間の体は違うのだということを学ぶことができました。
しかし一方、本日、ご参列戴いているご家族の方々には、おそらくこれまで故人と一緒に過ごされてきた日々の様々な思い出が甦り、心穏やかでない思いに苛まれたり、ご献体を実行されたことに対し、本当にこれで良かったのだろうかと悩まれた方もいらっしゃったのではないかと思います。
そしてそれを覆い被せるように故人の遺志を家族として尊重したことを誇りに思うことで心を奮い立たされた日々ではなかったろうかと思います。
だからこそ、本日ご献体してくださった皆様と、そしてご遺族の方々に、医学生にとって解剖学実習を行う意義、そこから得られるもの、そして当時のことを振り返る中で、様々な人に自分が支えられていたのだと改めて気づくことができたことを、いくつかお話しさせていただきたいと思います。
まず、その1つに整然と整えられた解剖学実習室
東海大学の実習室は明るく、常に換気がされていて、とても綺麗です。
私達は大変恵まれた環境で実習を行うことができました。
そしてそこには凛と横たわれた25名のご献体者の方々。
どのお顔にも生前の強い決意が漲れていました。
私がお勉強させて頂いた82歳のご婦人 後藤富美子様のお顔やお身体にも気品溢れる優しさと揺るぎない強さがありました。
後藤様と初めて対面した瞬間のことは不思議ととても鮮明に覚えています。
一生忘れないだろうとも思います。
死とはどういうものなのかを自然と考えるきっかけともなりました。
また解剖学の先生方のご献体に対する誠意と、私たち学生への強力なサポート
これに応えなくてはと身が引き締まりました。
こうして始まった5か月間に及ぶ解剖学実習・・・今、様々なことが思い出されます。
実習前日の緊張感、初めて解剖学実習室に入った時の様子、大変だった試験勉強と部活動の両立、実習班での出来事。
朝が苦手な班員が多く、1限から実習の日には欠かさずみんなにモーニングコールをし、それでも遅刻しそうな時には病院前の坂道を必死に駆け登りました。
班員とは丸一日実習の日には、必ず一緒にお昼休憩をとり、たわいもない話をしました。体調を崩してしまったときには心配してくれたり、作業を代わってくれたりした人もいました。
誰かが落ち込んだ時、悩んだ時には、じっくり話を聞きました。
試験勉強も助け合いながらしました。
試験明けにはみんなでご飯会を恒例行事にし、それを楽しみに試験を乗り越えました。
班員全員が同じ部活ということもあり、試合が続いて大変だった時期には、お互いの辛さが解るからこそより一層協力して実習を行いました。
そして力を合わせて綺麗に剖出できたときの感動。
私達は近い将来、患者さんを手術する機会もきっとあるでしょう。それは当たり前ですが「患者さまのため」の医療行為です。
傷跡を極力作らないために開腹は最低限に、臓器に負担をかけないためにできるかぎりスピーディに行うことが要求されます。
一方で、解剖学実習はいわば「自分の知識習得のため」に行うことができます。
ご献体の方を解剖させていただき、自分の手で、様々な角度から観察しながら、自分の納得のいくまでお勉強させて頂きました。
これから医師となり、生涯人と向き合っていくことになりますが、このような機会はもう二度とないかもしれません。
解剖学実習を終えて1年ほどが経つ今、本当に貴重な経験をさせていただいていたのだと改めて実感します。
また、家族の支えも本当に大きなものでした。
今、健康に過ごし、医学部に通えていること、これは全て家族のおかげです。
同じく医学部に通い、刺激を与えてくれている姉と弟がいます。
私が医学部に合格したときには、私以上に喜んでくれて、今でもずっと応援してくれている祖父母がいます。
医師に憧れるきっかけをくれ、「地域の方々に必要とされる医師でありたい」という私の将来の目標をずっと背中で示してくれている両親がいます。
なかなか実家に帰れなくても、いつも体調のこと、部活のこと、友人関係のことを誰より心配してくれています。本当に感謝しています。
試験や部活が辛くて逃げ出したくなったことは、今までにも何度もありましたが、こんなにも自分のことを応援し支えてくれている家族がいることを思い、乗り越えてきました。
私もここにいる医学生もみなこうしてたくさんの方々に支えられて医学の勉強をしています。
参列している2・3年生の医学部ならびに看護学科のみなさん、もう一度あの解剖学実習に邁進している頃のことを振り返ってみてください。
今、健康に毎日を過ごせ大学に通えているということ、解剖学実習を行えること、それは当たり前のことではありません。 いつも健康を気遣い、応援してくれている家族がいること。
まだまだ未熟な医学生である私たちをご指導くださり、恵まれた環境での勉強をサポートしてくださっている先生方がいらっしゃること。
大変な試験や部活を一緒に気持ちを共有しながら乗り越えてくれる友人がいること。
そして、何よりもご献体として身を捧げてくださった方、そのご意志を尊重し受け止めてくださったご遺族の方々がいらっしゃってこそ、解剖学実習を行えること。
たくさんの支えのもと、医学を勉強できているのだということを心に刻み、自分を支えてくれているたくさんの方々への感謝の気持ちを忘れない良き医師になれるよう、これからもより一層精進していこうではありませんか。
今日ここに立つ私に解剖学実習のあの日々を一緒に振り返り、アドバイスをくれた友人たちを始めとし、ここに参列している学生たちは私と同じ思いだと信じています。
解剖学実習で培った医療人としてのチームワークを活かし、お力をお借しくださった皆様に今度はいつの日か私達がお返し出来るよう、日々勉学に勤しんで参りましょう。
ご献体として身を捧げることは、医学の発展に貢献したいという、大変立派で尊い意志あってのものであります。
簡単な気持ちで決断できることではないでしょう。
そのような勇気あるご決断をされた故人の方々、そしてその尊い意志を尊重し、受け止め寄り添ってくださったご遺族の皆様ご自身を、どうぞ誇りに思ってください。
その尊い勇気ある社会貢献に、今度は私達医学を学ぶ者が社会に貢献出来る医療人として、返していけるように、一生懸命に学び、皆様の思いを繋いで参ります。
最後になりましたが本学学生を代表して、心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
2017年10月26日
学生代表 医学部医学科3年
宮地 恵